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野田史料館で坂田さんから野田八幡宮ホームページがあること伺い、拝見しました。
由緒・末社など豊富な内容で感心しました。 野田雨乞おどり記事もなつかしく拝見しました。 有用な情報発信で今後の発展も期待され、大慶の至りです。
なお、由緒の「淳和天皇の天頂四年(827)」は「-天長四年(827)」、 「後奈良天皇の天分十七年(1548)」は「-天文十七年(1548)」、 「仲哀天皇と神功皇后との第二子」は「-第4皇子」の誤記と思います。
お知らせ申し上げます。
鈴木様 ご指摘ありがとうございます。 早々修正いたします。 今後ともご指導よろしくお願いいたします。
ウィキペディア(Wikipedia)に 「野田八幡宮公式サイト」が掲げられうれしく思います。
公式サイトの「由緒」記述で、気づいた点をお知らせします。
今留丘の創建>>今留丘に創建 今留明神と物部氏の祖伸を祭り、ついで八波多大神>>今留明神、太郎子尊、八波多神、物部の祖神(出典 棟札[1300]) 引仁四年(813)>>弘仁四年(813) 第壱〇五代後奈良天皇>>第一〇五代後奈良天皇 深く痛み、社殿を造営し>>深く痛み、慶長五年(1600)社殿を造営し
5点ご検討くだされば幸いです。
鈴木様 ご指摘ありがとうございます。 早々修正致します。
貴HPの由緒には「太郎子尊」(「太」)、御祭神には「大郎子命」」(「大」)とあります。 正安二年棟札(1300)現物の判読は難しいですが、拝殿手前右手の同写石碑(1971)は「大郎子尊」、記・上宮記も「大郎子」となっています。
なお上宮記によれば「大郎子」の父は稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子)、母は弟日売真若比売(おとひめまわかひめ)で、継体天皇は大郎子の曾孫です。
「太」は「大」の、また「継体天皇が」は誤記ではないでしょうか。
年始に行われている交通安全祈願祭に毎年参加させていただいています。 令和7年は何日の開催予定で、時間的なスケジュールもご教示頂けましたら倖いです よろしくお願いいたします
ご回答遅くなり申し訳ありません。 1/2 8時受付スタートとなります。 午前中は大変込み合いますので、比較的空いております午後をお勧めします。
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野田史料館で坂田さんから野田八幡宮ホームページがあること伺い、拝見しました。
由緒・末社など豊富な内容で感心しました。
野田雨乞おどり記事もなつかしく拝見しました。
有用な情報発信で今後の発展も期待され、大慶の至りです。
なお、由緒の「淳和天皇の天頂四年(827)」は「-天長四年(827)」、
「後奈良天皇の天分十七年(1548)」は「-天文十七年(1548)」、
「仲哀天皇と神功皇后との第二子」は「-第4皇子」の誤記と思います。
お知らせ申し上げます。
鈴木様 ご指摘ありがとうございます。
早々修正いたします。
今後ともご指導よろしくお願いいたします。
ウィキペディア(Wikipedia)に
「野田八幡宮公式サイト」が掲げられうれしく思います。
公式サイトの「由緒」記述で、気づいた点をお知らせします。
今留丘の創建>>今留丘に創建
今留明神と物部氏の祖伸を祭り、ついで八波多大神>>今留明神、太郎子尊、八波多神、物部の祖神(出典 棟札[1300])
引仁四年(813)>>弘仁四年(813)
第壱〇五代後奈良天皇>>第一〇五代後奈良天皇
深く痛み、社殿を造営し>>深く痛み、慶長五年(1600)社殿を造営し
5点ご検討くだされば幸いです。
鈴木様
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早々修正致します。
貴HPの由緒には「太郎子尊」(「太」)、御祭神には「大郎子命」」(「大」)とあります。
正安二年棟札(1300)現物の判読は難しいですが、拝殿手前右手の同写石碑(1971)は「大郎子尊」、記・上宮記も「大郎子」となっています。
なお上宮記によれば「大郎子」の父は稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子)、母は弟日売真若比売(おとひめまわかひめ)で、継体天皇は大郎子の曾孫です。
「太」は「大」の、また「継体天皇が」は誤記ではないでしょうか。
年始に行われている交通安全祈願祭に毎年参加させていただいています。
令和7年は何日の開催予定で、時間的なスケジュールもご教示頂けましたら倖いです
よろしくお願いいたします
ご回答遅くなり申し訳ありません。
1/2 8時受付スタートとなります。
午前中は大変込み合いますので、比較的空いております午後をお勧めします。